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F1こぼれ話

「F1を最初に見た日本人は?」
「優勝より2位がよかった?」
などサイトの主旨から少し離れた面白いお話を少々...。

F1を最初に見た日本人は?

時代はまだグランプリ草創期の1953年。
1周22キロの難コース、ニュルブルクリンクで行われたドイツ・グランプリの表彰式。
3時間を越える熱戦を制したフェラーリのジュゼッペ・ファリーナの横でニッコリ笑う人物は・・・。
なんと、「ジャパニーズ・プリンス・アキヒト」。
つまり当時皇太子だった日本の天皇陛下その人です。
まだ海外旅行が簡単でなかった時代、しかも、F1の存在などほとんどの日本人が知らなかった時代、もしかしたら、これが日本人初のF1観戦だったのかも?

優勝より2位がよかった?

大雨に見舞われた1984年のモナコ・グランプリ。
78周レースの32周目にジャッキー・イクス競技長は、レース終了のチェッカード・フラッグをトップを走っていたアラン・プロストに振り下ろしました。
2位のアイルトン・セナに抜かれそうになっていたプロストはこのイクスの判断を評価します。
しかし、チャンピオンシップ・ポイントは規定により、通常の半分しか与えられません。
つまり、1位から6位までに、4.5 - 3 - 2 - 1.5 - 1 - 0.5。
ということは、もしレースが中止されず、プロストがセナにトップを奪われ2位でゴールしていれば、6点が与えられたので、最終的にニキ・ラウダに0.5ポイント差で敗れたプロストはワールド・チャンピオンになっていた?のかも知れません。

伯爵ドライバー

50年代から60年代にフェラーリで活躍したウォルフガング・フォン・トリップスはドイツの伯爵。
写真撮影が趣味の彼は、いつもマシンの中にカメラを持ち込み、リタイアしてマシンから降りると、カメラマンに変身していました。
また、伯爵は大変なキレイ好きで、耐久レースに出場する時は、ドライバー交代してピットに戻ると、必ずシャワーで汗を流し、新品のレーシング・スーツに着替えていたそうです。
貴族の遊びから始まったモーター・レーシング華やかかりし頃の名残でしょうか。
そしてひとたびステアリングを握るとマシンを限界まで攻める勇敢なドライバーだった伯爵は、1961年のイタリア・グランプリで激しいバトルの最中、クラッシュして亡くなってしまいました。

チャンピオンを知らないチャンピオン

全13戦で行われた1970年のF1シーズン。
第10戦イタリア・グランプリの予選で、ロータスに乗るヨッヘン・リントが事故死。
第9戦までに5勝し、圧倒的な速さを見せつけていた彼は、第二次大戦で父親を亡くし、苦労してレース界に入った人でした。
どこか寂しげな雰囲気があり、無口で、ひとりでいることの多いリントが話をする人はふたり。いつも一緒にサーキットに来る奥さんと、同じF1ドライバーの親友ピアス・カレッジ。
しかし、そのカレッジを第6戦オランダ・グランプリで亡くしてしまいます。
悲しみに暮れながらも、チャンピオンを目指すリントは、続くフランス、イギリス、ドイツと3連勝で飾り、チャンピオンを決めようとイタリアへとやって来ました。
そして、予選初日。高速の最終コーナー、パラボリカで原因不明の事故で、帰らぬ人となってしまいます。
彼の死後、フェラーリのジャッキーイクスが追い上げますが、及びませんでした。
表彰式には奥さんが出席。
ヨッヘン・リントはグランプリ史上、死んでからチャンピオンになった唯一のドライバーです。

最も大化けしたF1ドライバー

14戦して予選落ち5回、リタイア6回、完走した3回は9位、10位、11位。
これは、ケケ・ロズベルグの1981年の成績。
これでよく引退せずに済んだものだと思いますが、なんと翌年にはウィリアムズ・チームに大抜擢。しかも、アラン・ジョーンズ、カルロス・ロイテマンの相次ぐ引退で、ナンバー・ワン・ドライバーに。
これまで、速さはあるものの荒っぽい、という印象を持たれていたロズベルグは、意外な堅実さでポイントを積み重ね、1982年シーズンのチャンピオンを獲得します。
それにしても、ポイントゼロの1年後に、ワールド・チャンピオンとは・・・。
ちなみに、その逆パターンがジョディ・シェクター。1979年チャンピオンの彼は、翌年、予選落ちを含む不成績でランキング19位(入賞は5位一回のみ)。彼はこの年限りでF1を去りました。

地中海を泳いだF1ドライバー

といっても、レース中にマシンもろとも海へ飛び込んだという、相当危ない話です。
場所はモナコ、モンテカルロ。
地中海に面した風光明媚なこの街は、コースの半分が海沿いを走る美しいサーキットです。
ヨットハーバーに停泊された豪華なクルーザーでは、観客がシャンパン片手に優雅にレースを観戦しているわけですが、レースをするドライバーにとっては、海沿いを走るなど、優雅どころではありません。
1955年には名ドライバー、アルベルト・アスカリがランチアと共にドボン!
1965年にはポール・ホーキンスがこれまたロータスと一緒にザブン!
ふたりとも無傷だったので笑って済ませられますが、ひとつ間違えれば大変な惨事になるところでした。
幸いにも、その後、地中海を泳いだドライバーはいません。

ベスト・セカンド・ドライバー

チーム・オーダーに対しては何かとうるさい昨今ですが、語り継がれている美談もあります。
1956年最終戦イタリア・グランプリ。フェラーリに乗る5人のドライバーは、皆それぞれ優勝を狙っていました。
エースはポイント・リーダーのファン・マニュエル・ファンジオ。彼は、’51、’54、’55年に続く4度目のタイトルを目指しレースをスタート。
ところが、レース序盤、マシン・トラブルでピットイン。チャンピオンの可能性が遠のいてしまいます。
そこへ予定通りのピットインをしてきたのが、同じフェラーリの若手ピーター・コリンズ。
彼はすぐさま、状況を理解し、尊敬する大先輩のファンジオに自らのマシンを譲ります(当時はレース中のマシン交換が認められており、ポイントは等分されていた)。
実は、ファンジオを逆転する可能性が一番高かったのが、コリンズだったのです。当時24歳の彼は「若い僕にはチャンピオンを獲得するチャンスはまだまだあるから」と快くマシンを譲ったそうです。
こうして、45歳のファンジオは、感謝の念いっぱいに4度目のタイトルを獲得しました。

日本のF1史の礎

1987年から20年間、F1日本グランプリを開催してきた鈴鹿サーキット。
オリジナルのデザインは、オランダのザンドボルド・サーキットをデザインしたフーゲンホルツ氏。
言わずと知れた世界屈指のドライバーズ・サーキットです。
そんな日本のモータースポーツのゆりかごでもあった鈴鹿サーキットの誕生は、1962年11月3日。ドシャ降りの雨の中でオープニング・セレモニーが行われました。
その日の模様を伝えるモーターファン誌臨時増刊号の記事には「三重県鈴鹿市、その郊外の起伏に富んだ丘陵地帯につくられたスズカ・サーキットの見事なレー シング・コース、近代感覚にあふれた造形美は、まったく素晴らしい。スピードの殿堂として、その背景、その構図は日本の誇るべきもののひとつであろう」 と、当時の喜びと感激があふれていました。
ちなみに、このモーターファン誌の臨時増刊号のタイトルが皆さんご存知の「オートスポーツ」で、この先、鈴鹿サーキットと共に、日本のモータースポーツ史に多大な貢献を果たすこととなります。
さて、その鈴鹿に再びF1が戻って来るのはいつになることでしょう?(2009年に再び鈴鹿での開催が決定しています)

F2で世界選手権?

F1世界選手権がF1マシンで行われるのは、当然のこと。
と思っていたら、これにも例外があります。
1952年と’53年の2年間、世界グランプリは2リッターのF2マシンによって行われています。
これは、’51年限りでアルファロメオがF1から撤退することになり、このままではフェラーリの独壇場になるだろうと予想したFIAが、マシンのバラエティが豊富なF2に世界タイトルを冠することにしたためです。
結果的には、そうしたFIAの目論見もむなしく、フェラーリの独り舞台となるのですが・・・。

F1でインディ500?

1950年から’60年までの11年間は、アメリカのインディアナポリス500マイルレースが、F1世界選手権に組み込まれていました。
当時はまだ北米でF1を開催する土壌が整っていなかったのですが、F1を世界選手権と銘打つために、どうしてもヨーロッパ以外での開催が必要だったFIAが、当然車両規定も違うインディを、F1グランプリに加えたのです。
1959年以降、アメリカ・グランプリが定着してからは、’60年を最後にインディ500はカレンダーから外されました。

女性F1ドライバー

これまでF1にチャレンジした女性ドライバーは5人います。
最初の挑戦者は、イタリアのマリア・テレサ・デ・フィリピス。
1958年に5レースに参戦、そのうちベルギー、ポルトガル、イタリアで予選通過し、ベルギーでは最下位ながら、10位で完走しています。
同じくイタリアのレッラ・ロンバルディは、1974年~’76年にかけて17戦にエントリーし、12戦で決勝進出。’75年のスペインでは混乱に乗じて6 位入賞を果たしています。ただし、レースが大幅に短縮されたため、0.5ポイントのみ与えられました。これは女性ドライバー唯一の得点です。
その後、イギリスのディビナ・ガリカが1976年~’78年に、南アフリカのデジレ・ウィルソンが1980年に、イタリアのジョバンナ・アマティが1992年に挑戦しましたが、いずれも決勝進出はなりませんでした。

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