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グラハム・ヒル - 初代モナコ・マイスター

Graham Hill グラハム・ヒル

Graham Hill グラハム・ヒル

1929年2月15日、イギリス・ロンドン生まれ。1975年11月30日、飛行機事故で死亡。

  • F1デビュー: 1958年モナコグランプリ
  • 出走: 175回
  • 優勝: 14回
  • ポールポジション: 13回
  • ワールドチャンピオン: 2回
グラハム・ヒル モナコ・マイスター

グラハム・ヒルは、モナコグランプリで5度の優勝を誇ります。

優勝したのは、'63,'64,'65,'68,'69年。
勝ちを逃した '66, '67年も3位と2位という抜群の成績で、モナコマイスターと呼ばれました。

この記録は、1993年にアイルトン・セナがモナコ6勝目を挙げるまで破られることはなく、2009年現在もミハエル・シューマッハと並ぶ史上2位の記録です。

モナコという華やかな舞台で強かったグラハム・ヒルは、そのハンサムなルックスと相まって、華麗なイメージがつきまといますが、実は地道な努力を重ねてきた苦労の人でもありました。

16歳で学校を卒業した彼は、自動車用計器を製造する会社、スミス・インスツルメントで見習いエンジニアとして働き始めます。

この間、英国海軍で兵役の義務なども経験し、1953年、ブランズハッチのレーシング・スクールに応募します。これは、1ポンドを払って、古い500ccのマシンでコースを4周するというものでした。

このオーディションに見事合格したグラハム・ヒルは、仕事を辞めて本格的にレーシング・ドライバーへの道を目指し始めます。

しかし、それからの3年間は自分のシートを掴むことが出来ず、チーム・ロータスでトランスポーターの運転手やメカニックの仕事などをしながら、チャンスが巡ってくるのを待ちました。

ロータスでモナコをドライブするヒル

たまにスポット・ドライバーとしてマシンに乗ることが許されると、少しづつ彼の才能が認められるところとなり、やがてロータス・チームのシートを獲得します。

グラハム・ヒルのF1デビューは1958年。モナコ・グランプリ。予選は15位、決勝はリタイアでした。

1960年にはBRMに移籍。

初優勝は1962年オランダ・グランプリ。また、この年はジム・クラークと接戦を演じた末、初のワールド・チャンピオンにも輝きました。

この後、’63、’64、’65年はいずれもランキング2位。
彼の前に立ちふさがったのは、ライバルのジム・クラークとジョン・サーティーズでした。

翌’66年はマシンに恵まれず、苦しいシーズンでしたが、アメリカのインディ500では優勝を飾っています。
ちなみに、インディ500の優勝で得た莫大な賞金で彼は自家用飛行機を購入するのですが、1975年、この飛行機の墜落事故のよって命を落とすこととなります。

1967年には再びチーム・ロータスに戻ったヒルの、2度目の世界タイトルは1968年でした。
しかし、この年、ライバルでありチーム・メイトだったジム・クラークを事故で失ってしまいます。

グラハム・ヒルの最後の優勝は、やはりモナコ。1969年でした。

モナコの表彰台でグレース・ケリーと

1970代に入ってからも、グラハム・ヒルはF1で戦い続けましたが、マシンに恵まれなかったこともあり、これといった成績をあげることは出来ませんでした。

モナコの表彰式で、グレース・ケリーと写真におさまるお馴染みの光景。
その見た目の華やかさに似合わず、苦労を重ねてきたヒルにとって、難しいモナコでの5度の優勝は、彼の本当の実力を証明するものでした。

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