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アラン・プロスト - ラウダに学んだプロスト

アラン・プロスト(右)とニキ・ラウダ
’84年 マクラーレンでチームメイトとなったラウダ(左)とプロスト ブラジルのジャカレパグア・サーキットで

1984年、F1最終戦ポルトガル・グランプリで、アラン・プロストはシーズン7勝目のトップ・チェッカーを受けながら、優勝5回のニキ・ラウダに世界チャンピオンを奪われてしまいました。

その差0.5ポイント!しかも、81年から毎年チャンピオン争いを演じていながら、4年連続!で、タイトルを逃し続けたのです。

これまで、抜群の速さを武器に、F1での優勝を重ねてきたアラン・プロストは、このシーズンを境に、そのドライビング・スタイルを、まるで別人のように変えてしまいます。

デビュー以来、プロストは、どのレースでも常に優勝を目指していました。
それがレースというものであり、それこそが自分が一番であることを証明する、最善の方法だったからです。

しかし、常にトップを狙う走りは、おのずからリスクの高いものとなり、マシン・トラブルの発生や、ドライビングミスを誘発させてしまいました。

マクラーレンMP4/2をドライブするプロスト ’84年ダラス・グランプリ

一方、このシーズン、3度目のワールド・チャンピオンを獲得したニキ・ラウダは、いまの自分に、若いプロストのような速さがないことを早くから悟っていました。

ラウダは、速さ以外のもので、プロストに対抗しようとします。
ラウダがプロストよりすぐれていた点は、常に自分自身を冷静に保ち続ける能力、目先の敵との戦いにとらわれずに、レース全体を考えて走れる能力、さらには、個々のレースよりも、1年間という長いスパンで戦略を組み立てられる能力、これらを駆使し、速さという絶対的な武器をもつプロストと戦い、そして勝ったのです。

プロストが、目先の敵を力でねじふせてきたのに対し、ラウダは目先の敵と戦いたがる自分自身をねじふせてきたのです。

’85年のイギリス・グランプリで悲願の初タイトルを獲得(このレースでマンセルはF1初優勝)

この自分自身をねじふせる、つまり大目標を実現するために、理性的な判断で、目先の感情をコントロールすることの大切さを、プロストはラウダから学んだのです。

ラウダに敗れた'84年シーズン最終戦のレース後、記者団に対し、世界で一番速いのは自分だとぶちまけたプロストは、しかし冷静に、「チャンピオンの獲り方がわかった。来年は絶対にチャンピオンになるからね」と語りました。

そして、その言葉どおり、85年、86年と2年連続で、しかも、圧倒的な速さをもつ、ウィリアムズ・ホンダのネルソン・ピケとナイジェル・マンセルを巧みなレース運びで破り、世界チャンピオンを獲得するのです。

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