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アイルトン・セナ - モチベーション

アイルトン・セナ
死の前日のセナ 哀愁漂う瞳 彼の心は何を見ていたのか?

アイルトン・セナにはF3当時から、常にライバル、というより「敵」がいました。

それは、その時々によって変わり、F3の頃はマーチン・ブランドル、F1にあがってからは、ナイジェル・マンセルだったり、ネルソン・ピケだったり、そして、アラン・プロストだったりしました。

セナほど「敵」の多かった選手もめずらしいのではないでしょうか。

私は、セナに「敵」が多かった理由は、彼がそれを必要としたからだと考えています。
つまり、「敵」が向こうから現れたというよりも、自ら作り出したのではないでしょうか。

その理由は、自己を動機づけること。すなわちモチベーションを高めるための手段だったという気がします。

もし、マンセルやピケやプロストが、F1の世界にいなかったとしたら、彼は、ベルガーやパトレーゼを「敵」にして、戦ったはずだと思っています。

セナは死の前年、あるインタビューで、「デビュー当時から、自分にとって変わることのないテーマは、自己を動機づけることだ」と語っています。

人間はみな、夢や目標を心に描くことは比較的簡単にできます。
どんな成功に関する書物にも、「夢を描きなさい、目標を決め、計画を建て、それを紙に書き出しなさい」と教えています。

これは、旅立つ前に、目的地を決め、その目的地へのレールを敷いてしまおう、ということです。

確かに必要なことでしょう。ですが、もし、それだけで成功できるのであれば、世の中には、もっとたくさんの成功者が生まれているはずです。

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しかし、現実はどうでしょう?
目標を決め、計画を建てても、ほとんどの人は、計画倒れに終わっているのではないでしょうか?
どうしてそうなるのか?

私は、それはレールの上にある汽車を動かすためのエネルギーの不足が原因だと考えています。

計画を建てるのは、理性がすることです。
しかし、人間を動機づけるものは、理性とは別の部分です。
好きなことだったり、何かに対する憧れだったり、あるいは本能に近い欲望だったりします、それが人間を行動へと突き動かすのです。

そして、この本能や欲望は、必ずしも世間一般では、「良し」とされるものとは限らないのです。

いえ、むしろ、それは「悪」に近いものだと思います。
見栄、嫉妬、復讐心、物欲・・・などなど。

分かりやすい例えでいうと、歴史上、善の心で名を成した人物は、マザー・テレサ、マハトマ・ガンジー、・・・ぐらいしか、すぐには浮かんでこないのに対し、悪の心で有名になった人はというと、・・・挙げればきりがないほどです。

要するに、人間には本来、悪の感情が誰の心にも備わっており、そのエネルギー量は、善の感情を遥に凌ぐものだと考えられるのです。

有名経営コンサルタントの神田昌典氏は、著書「非常識な成功法則」の中で、「成功は悪の感情から生まれる」と書いています。

多くの成功者は、悪の、少なくとも善ではない感情を利用し、その感情が持つ膨大なエネルギーを、自分を前へ、前へと推し進めるためのエネルギーに転換してきたのではないでしょうか。

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ビジネスの初期の段階や、スポーツの下積み時代には競争に勝つための人並み外れた努力を必要とします。
その努力を可能にする膨大なエネルギーを産出する工場のようなシステムを、自分の心の中に築く必要があります。

ただし、「エネルギーの転換」というところがポイントです。悪のエネルギーは、そのまま発散すれば、悪でしかなく、成功どころか、現在の世の中では犯罪者になってしまいます。

また、「悪の感情」と呼ぶものも、あくまで現在の人間の価値観によるものであって、人類の枠を超えたり、時代が大きく変わればその評価も変わるはずです。

セナは、彼にとってのテーマである、「自己を動機づける」ことのために、マンセル、ピケ、そして、特にプロストの存在を利用したのではないでしょうか。

セナはこうも言っています、「人生で経験する、あらゆる出来事、悲しいことや辛いこと、ぐったりするようなことを、すべて勝つためのエネルギーに転換してやるんだ」と。

レースに人生のすべてを捧げていたアイルトン・セナは、彼のすべてのエネルギーをレースのために転換し、それでも足りないときは、自ら創り出す工夫をしていたように思います。

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