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アイルトン・セナ - 仕事に対する愛

アイルトン・セナ
王者の風格とカリスマ的魅力を持つアイルトン・セナ

事を成す人間の資質や、その人の持つ魅力について考えるとき、私は今でもアイルトン・セナのことを思い出します。

あのイモラの事故のとき、モータースポーツとかかわりのないメディアや人たちまでが、セナの死を大きく採りあげ、話題にしました。

F1にデビューしたての頃のセナは、まだカート・レースを始めたばかりの私にとってアイドルであり、偉大な存在でした。

しかし、彼の死に対する世界の反響の大きさは、私の想像をはるかに超えたもので、セナというF1ドライバーの存在の大きさを改めて思い知らされました。

私は過去に多くのレーシングドライバーの死を目の当たりにしてきましたが、あのようなことはセナ以前にもそれ以降にも例がありません。

なぜセナだけが特別なのか?
F1にまで登りつめた他のドライバーと比較しても、セナは常に特別な存在でした。

ラウダやビルヌーブとも違う何かがセナにはありました。
ラウダやビルヌーブは、どちらかと言うと「男の中の男」といったストイックなイメージがありますが、セナの場合それとも少し違うように感じるのです。

結局のところ、セナほど偉大な人物の内面を探ること自体に無理があるのかも知れませんが、しかし、それだけに私にとって非常に興味のあるテーマだとも言えるのです。

アイルトン・セナが成し得た功績と世界中の人々を魅了した資質とは・・・。
また、それは先天的なものなのか?あるいは経験を通して身に付けたものなのか?

その答えは種々あろうと思いますが、私は彼のレースに対する真摯な姿勢、言い方を変えれば、自分の仕事に対する愛情にあるのではないか、と考えています。

悲願の初タイトルを掴んだ瞬間 ’88年日本グランプリ

もし人によって心の中に持つ愛情の量に違いがあるとすれば、アイルトン・セナは人並み外れた大きな愛を持っていたのではないでしょうか。

その大きな愛でレースに打ち込んだとき、同時にそれはある種のエネルギーとなって周囲の人々に伝播していったのではないでしょうか?

つまり、仕事に対するセナの人並み外れた大きな愛が、彼の成功の秘訣であり、人を惹きつける魅力の源だった、と。

セナは、その攻撃的なドライビング・スタイルからよく事故を起こしましたが、それは、常に限界にチャレンジする彼にとって納得のできるクラッシュだったと思います。
ところが、その一方で、他のドライバーの事故にはいつも過敏に反応していました。

スパ・フランコルシャンでは、クラッシュして動けなくなったエリック・コマスの元へ、自らのマシンを停めて駆けつけたり、マーティン・ドネリーがヘレスで大クラッシュしたときには、非常に動揺した様子でインタビューに答えていました。
最後のレースとなったイモラでも、ルーベンス・バリチェロとローランド・ラッツェンバーガーのクラッシュに、すこし取り乱しているようにも見えました。

’91年 初のの母国優勝で自らシャンペンシャワー

ナンバー・ワンになることに命を懸けていたアイルトン・セナですが、同じ土俵で戦う仲間たちを想いやる優しさも持ち合わせていました。

人が生きる上で、大切なものの究極は「愛」ではないでしょうか?

人を愛し愛されること。
自らの仕事を愛し続けること。
それ以上に大切なものなどないような気がします。

かつてホンダの監督をされていた桜井淑敏氏がセナについて「人間の生き方のお手本」と評していたと記憶しています。

アイルトン・セナは、レースを愛し、家族を愛し、仲間たちを愛した、まさに人間の生き方のお手本のような人生だったように思います。

その上でセナは仕事を通して、私たちを勇気づけてくれました。

テレビや雑誌を通してさえ伝わってくる彼のレースに対する情熱は、世界中の人々、特に戦後の高度成長からバブル崩壊を経て、自信と目標を失いかけていた日本人の心に、激しく響くものがあったように感じます。

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