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ビルヌーブが大激戦の終盤を耐え抜き連勝

1981.6.21 スペイン・グランプリ(ハラマ)

首位ビルヌーブから5位デ・アンジェリスまでが団子状態でゴール!

優勝したジル・ビルヌーブ(フェラーリ)から5位でゴールしたエリオ・デ・アンジェリス(ロータス)までの差が、なんと1.24秒!

まれに見る大接戦となったわけですが、これは同時にビルヌーブの苦しいドライビングを物語っていました。

彼の乗る81年型のフェラーリ126CKは、フェラーリ初の本格的なグランド・エフェクト・カーだったのですが、ライバルのウィリアムズやブラバムに比べて、はるかにダウンフォースが少なく、ビルヌーブは例のごとく、コーナーの進入でテールを振り出し、絶妙なスロットル・コントロールでドリフト・アングル を保ちつつ、リヤタイヤのグリップの回復を待ち、出口に向かって立ち上がっていく、というスリリングなドライビングを続けていました。

結局、この走りが更にタイヤを酷使し、レース終盤にはすっかりペースが落ち、4台ものマシンを真後ろに引き連れての走行となってしまいます。

しかし、この程度で弱気になるビルヌーブでは当然なく、最後の数周はコーナーごとにフェラーリのインにノーズをねじ込んでくるジャック・ラフィー(リジェ)を抑えきり、前戦モナコ同様、マシンの性能差の出にくいコースで、2連勝を飾りました。

トップに立ったビルヌーブとそれを追うロイテマン

そもそも、このレースが始まる前の予想では、本命はもちろんフェラーリではなく、ウィリアムズやブラバム、そして、ここハラマで3年連続となるポール・ポジションを獲得したマトラV12エンジンを積むリジェのラフィーでした。

予選2、3位にはウィリアムズのアラン・ジョーンズとカルロス・ロイテマン。
ネルソン・ピケ(ブラバム)は、例年ここでは成績の出ないブラバムに手を焼き、予選初日は16番手、2日目にやっと9番手、というあり様です。

決勝は、スタートをミスしたラフィーをかわし、ジョーンズ、ロイテマン、更にアウト側からビルヌーブが並んで1コーナーへ進入。しかし、ジョーンズとロイテマンはラインを守り、ビルヌーブは3番手で通過。

1周目を終えると先頭のジョーンズは、既にロイテマンとのリードを広げはじめ、3位のビルヌーブも2周目の1コーナーでロイテマンをアウトからパスし、2位に上ります。

10周を終了する頃には、もうこのレースはジョーンズの独走で終わりそうな雰囲気でした。

ところが、14周目そのジョーンズがスピン!16番手まで順位を落としてしまいます。

これでトップに立ったビルヌーブですが、ロイテマンと3位のアラン・プロスト(ルノー)を引き離すことが出来ません。

29周目、そのプロストがジョーンズと同じコーナーでコースアウトし脱落。

代わって3位に上って来たのがマクレーレンのジョン・ワトソン。4位には、スタートのミスで遅れていたラフィーと続きます。

前戦モナコに続き2連勝のビルヌーブ(中央) 2位ラフィー(左) 3位ワトソン(右)

レース終盤、ギヤ・ボックスにトラブルをかかえていたロイテマンに、もはや先頭のビルヌーブを追う意思はなく、逆にワトソンを抜いて3位に上っていたラフィーと、続くワトソンにも抜かれ、さらには後方からデ・アンジェリスが差を縮めてきています。

そして、冒頭でお伝えしたように、最後はビルヌーブがラフィーの猛攻を凌ぎきり。トップでチェッカーをくぐりました。

このレースを自宅でテレビ観戦していたエンツォ・フェラーリは、ビルヌーブのこのドライビングと優勝を非常に喜んだそうです。

ビルヌーブはエンツォ・フェラーリが愛した数少ないドライバーでした。
ちなみに、1971年のイタリア・グランプリでは更に接戦で、1位から5位までの差が1秒を切っていたということです。

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