F1 Bar

ホンダ 15年ぶりのF1復帰 黄金の第二期のスタート

1983.7.16 イギリス・グランプリ(シルバーストン)

シルバーストンを走るヨハンソンのスピリット・ホンダ

1965年から68年までの4シーズン、ホンダはF1の檜舞台で活躍しました。

それから15年、日本から遠く離れてしまっていたグランプリの世界へホンダが再び挑戦を開始しました。

この第2期F1活動は、第1期と違いシャシーの製作はせず、エンジン・サプライヤーに徹しての参戦となりました。

最初のパートナーはF2から上ってきたスピリット。
ドライバーに起用されたのは、後に全日本F2で活躍するステファン・ヨハンソンです。

その第2期のスタートは、1982年11月24日、人影もまばらな夕闇せまるシルバーストン・サーキットでした。

ようやく産声をあげたスピリット・ホン ダ・ターボのステアリングを握っていたのはテリー・ブーツェン。
そして、その横をヨハンソンの運転する彼のサーブがヘッドライトを灯け、動き出したばかりのスピリット・ホンダの前を照らしながら、ゆっくり併走したそうです。
それも、たったの3周・・・。

それから8ヶ月。
1983年7月15日、イギリス・グランプリ、公式予選2日目。
グッドイヤーの予戦用タイヤを履き、ターボのブーストを高くしてアタックしたヨハンソンが叩き出したタイムは1分13秒962。

スタート! フェラーリのアルヌー(左)とタンベイを先頭に1コーナーコプスに飛び込む

チャンピオン、ケケ・ロズベルグ(ウィリアムズ・DFV)の後ろ、ニキ・ラウダ(マクラーレン・DFY)の前につける14番手のタイムでした。

決勝は翌16日、午後2時30分、気温33度の中スタート。

1コーナーを奪ったのはポールからスタートのルネ・アルヌー(フェラーリ)、しかし、1周目を終える前にチームメイトのパトリック・タンベイがトップに立 ち、アラン・プロスト(ルノー)、リカルド・パトレーゼ(ブラバム・BMW)、エディー・チーバー(ルノー)がつづきます。

スピリット・ホンダのステファン・ヨハンソンは好スタートを切っていました。
マウロ・バルディ(アルファロメオ)、ブルーノ・ジャコメリ(トールマン・ハート)、更には、ケケ・ロズベルグを抜き、1周目11位。2周目も11位、3周目10位、4周目10位・・・。
しかし、ホンダのデビュー戦はここまででした。

5周目に燃料ポンプのベルトが切れて、ピットイン。20分間の修理後、再びコースに戻ったものの、1周も出来ずに同じトラブルでリタイア・・・。

シャンペンシャワーのプロスト(中央) 2位ピケ(左) 3位タンベイ

レースはプロストが、ネルソン・ピケ(ブラバム・BMW)とパトリック・タンベイを押さえ、シーズン9戦目にして早くも3度目のチェッカー。初のチャンピオンに向けて快進撃をつづけていました。

スピリット・ホンダのデビュー戦はリタイアに終わったものの、当時、まだモータースポーツに対する認知度の低かった日本において、ホンダの果たした役割の大きさは計り知れません。

このホンダのF1復帰は、その後の日本人ドライバー中嶋悟の起用と、ウィリアムズ・ホンダ、マクラーレン・ホンダの大活躍へとつながり、それまで別世界にあった日本とF1の距離を急速に縮めてくれました。そして、80年代後半から90年代前半のF1ブームへと発展していきます。

このエントリーをはてなブックマークに追加